この媒体では、日々の記録というより、もうちょっと固定されたテーマや考えについて個別にトピックを立てて深掘りしていくような形で使っていた傾向があったが、特にそういう風に限定することもないかと思った。

 

写真を見るのはとても好きだが、撮られることや撮影すること、撮影してる人は苦手だ。

撮られることに関しては、自分が何か物事をしている姿を撮られるのはまぁいいのだが、カメラに意識を向けて何かポーズをとったり表情を作ったりするのが苦手。

撮影することとしてる人については、その姿が滑稽というか隙だらけに見えてしまうことがある。今を生きていない感じというか。自撮り女子がレンズに向かって表情を作っているとき、それを側から見られているときの様子はどうも美しくないのだが、そこの意識のチグハグさとか。お前にみられたってどうでもいいよ、というのもあるかもだけど。

 

デジタル関係のものを触っていると本当に時間が無くなるのがあっという間に感じられる。そのデジタル関係で触れているのも、他愛もないマンガだったりSNSの動画だったりすることが多い。そういう日々が続いていて、本当にふやけてしまっている感覚がある。デジタルデトックスという言葉があるが、以前に少しだけ試したところ明らかに生活の時間の長さを感じたら。認知のクリアさというのも感じた。

 

日々の記録という形でこうして文字にしていくだけでも頭使ったような感じになってくる。どういう表現が適切なのか、思っていることをどう書いたらいいものかを考えることが、今の生活の中であまりない。

あることはあるが、仕事のフォーマットの中なので、厳密さ簡潔さが最優先で、もっと微妙なニュアンスや思いの伝え方を考えるスペースは多くはない。

 

年末年始の休みで、29から今日までずっとスタジオに通った。最近はやりたいことやできることも多くなってきてますます楽しく、かつ時間がないと感じる。楽しいことは色々あるかもしれんが、自分はやっぱり音楽が好きっぽいし、段々それ以外のことが考えられなくなってきている気がするし、調子のいい日ならずっと楽器を触っていられる気がする。

そんなに好きなら、それを仕事にするとしたらどうなのかと考え、本当につい先ほど楽器講師の求人など見ていた。初心者の人とかになら教えられるかもしれんが。ただ、教室みたいなのはあまり好きじゃない。これについてはもっと具体的に考えたいが、子どもであれば本人というよりその親御の存在がうすらみえて、子どもが主体的であるのかが疑問に思えてしまうことがある。成人にしても、自分ごときが何を伝えられるのかとか思っちゃいそう。

まちやのクラスで微かに感じるそのへんへのモヤモヤもきちんと言葉にしたら、何か参考になる。

 

年末年始だが、特別なことはしていない。生活のリズムが崩れるのはあまり好きでないと最近自覚した。よっぽど楽しい飲み会やイベント、旅行は除く。それを言うとみんなそうかな。

ただ、食事とか最近はあまり外食を挟みたくないな。

晦日に年越しの飲み会を誘われ、行く気はあったのだが、その時の体力、物理的な距離や会場のタバコくささ、翌日のダメージなどを考えると段々とその気持ちが萎んでしまった。結局布団に入るとそこから抜け出せずそのまま寝てしまった。ちょっともったいなかったかなぁ。

 

今年は下記を気をつけたい

デジタル関係への向き合い方、なるべく減らす

特にSNS

自分が責任を負う形での表現の発信、自分が人に発信したいのは楽器のことくらいしかないか?

一日一ページでも良いので活字を読む

継続して身体のトレーニングをする

 

人生で初めて抱負のようなものを立てたかもしれない。