容器、額縁、背景

ワインはワイングラスで飲まないと、あまり美味しくない気がする。風味や香りを楽しむことの追求からああいう形になったのかなと推察するが、自分個人としては、単純な気持ちの問題になっている。固定観念みたいなもんだろうが。

鳥貴族だかで、焼酎のカップみたいなのに入ったワインは不味かった

 

文字を読むには、どれがいいのだろう。ただの学術書や客観的な情報を伝えることを目的とした文章で、読み手もまたその内容を知識として得ることだけを目的としているならば、容器なんぞなんでもいいだろうな。これは胃袋に入ればなんでもいい、食べられればなんでもいいみたいなもんかな。

 

詩や小説はそうはいかないんじゃないか。そこから自分の気持ちにどう呼応するか、どういう感情を想起させるかといった点が大事になってくると思うから。

容器が本か、本であれば文庫か単行本か、

スマホで見るのかパソコンで見るのか。

 

疲れとか慣れとかインタフェースの問題もあるけどね。

過去の色あせたような詩をスマホの無機質ともいえる画面で見るのも、乖離感がおもしろい。

暗闇の中で、手元だけが照らされるようなスマホの明るさで、悲しさを詠った詩も似合う。

街灯の下で、街灯の光を頼りに本を読んだ記憶もあるが、それも乙かもね。

 

意外と文字は何でもいいのかな。