忙殺について

昔、アルバイトを最大で3つ掛け持ちしていた。確か洋菓子屋と中華屋と印刷屋。印刷屋は短期間かつ短時間の勤務ではあったが、3つもあるとやっぱり忙しくなる。ただ、その時、忙しいというのはある意味楽だなと思った。自分は音楽が好きでそこでもっと色々なものをやりたい、作りたいとか色々な人と演奏したいとかの欲求があるが、それが中々、自分が思うように実現には至らない。そういうフラストレーションを忙しさというのは、薄めたり忘れさせてくれる。

何がしかの挫折や失恋したとかの失敗とかを、多忙に身を置くことで忘れようとしているとかの話はたまに耳にするので、そんなに特別なことではない。

 

一方で、好きなことで忙殺されるのはどういう気分なんだろう。

 

 

 

23年12月現在、今までの中でもわりとタフな方の仕事環境に置かれている。特に精神的に気の張り詰める感じが続く。これが一日の半分以上を占めると、本当に自分のことを忘れてしまうような感覚に陥る。体力や気力が夜に帰宅する頃には削られており、家ではくだらない漫画や動画でふやけた時間を過ごすしかないような日々。

学生時代のバイトはこれが一過性のものであると思っていたし選択の自由が無限に近くあった。いつでも辞められるし変えられると言う気持ちがあったから凌げた。今も来年には辞めることが念頭にあるから、一過性のものとして何とかやっているが、下手な感じに年齢を経て、そういうスタンスが取れなくなったとき、ゾッとする。懲役受けてるようなもんではないか?