便利に飽きる感覚とか

デジタル関係や大きな組織の複雑化・煩雑化に疲れている感覚がある。アナログやシンプルさ、身体への訴求があるものは前から好きだけど、よりそっちの方向に意識が向かっている。

最近はAIの進化が目覚ましいようで、そのへんの知識をアップデートしないと乗り遅れるような雰囲気も感じるが、そこまで便利になると逆にどうでもいいというか、不便でいいじゃんという気にもなってくる。

手に入れたいものが手に入ると冷めてくる感覚に近い。

 

ネットのコピペか何かでメキシコの漁師とMBAの話みたいなのがあった。MBA持ちが漁師にもっと船用意すればもっと稼げるぞという。漁師はその先に何があるかと問う。MBAは昼寝したり自分たちが食べる分だけ釣りしたりギターを弾いたり悠々自適な生活さという。しかしその生活は漁師の今とそんなに変わらないやんというもの。

お金を稼いだことに伴う選択肢の増加や不安の解消みたいなのはあるかもしれないが。

自分も世の中がすごい便利になったりして、その先に何がやりたいかと考えたとき、すぐに思い浮かぶのは太鼓とかギター練習したり、人と合わせて何か作ってみたりとかそんなことしかない。

 

それと似たような話で、データでの音楽鑑賞、結構飽きてきているかも。サブスクで無限に聴きたい感じのものが聴き回せてしまうからか。とはいえ楽しいときが多いけど。そして、当事者としての音楽はやっぱり飽きないし、ますます楽しいけど。